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当時中学生だった私は雷鳥の後ろに繋がったアストルを羨望の眼差しで見つめていました。とても貴重な動画を見せていただき有難うございます。
コメントありがとうございます。(表示の承認が遅れてごめんなさい)1回目(1988年秋)に乗車したときフィルムカメラで写真は撮ったのですが、ビデオ撮影を始めてから、この列車はぜひもう一度ビデオで撮っておきたいと思って再度乗車しました。一方で、同じく485系との併結運転をしていた福知山線・宮福線の「エーデル丹後」に乗車する機会を作れなかったのが残念です。エーデルの車両自体は大糸線で乗ったのですが(単独運転)、「北近畿」と併結運転している所を見て(撮って)みたかった…。
2階の展望席から電車と連結する所が見れるのはまさに圧巻だ。
視聴ありがとうございます。
迫力そのもの。外国人観光客が見たら大騒ぎそのもの。
今は高架化されても寂しくなった富山駅の在来線ホーム
前面展望車からの併結シーン最高です。ゴールデンエクスプレスアストルがわからず、自分のHPで確かめました。キハ3両から中間を抜いた2両ですね。ゆぅトピア和倉の併結走行シーンは見ますが、アストルは初めてです。
キハではなくてキロです(汗) 種車は確かにキハですが。でも登場した頃は何かとアルファ・コンチネンタルexpとかエーデル丹後(どちらも普通車扱い)と比較して批判されてました。aceとエーデルは展望室も定員としてカウントされる客席ゆぅトピア・アストルの展望室はフリースペースなのですが…。
すいません・・・キロでした
昔はジョイフル(イベント)トレインが全盛期だった頃はキハ58、65形改造等の気動車と特急形電車の併結で面白かった時代ですね。
キハ58・28から改造のジョイフルトレインは、485系とは併結してないです。ただアストルの場合二刀流というか…485系と併結するときはキロ65×2限定、併結がないときはキロ65+キロ29+キロ65の3両編成で使われていたとのことです。※キロ29=キハ28からの改造。あと「エーデル」シリーズの「エーデル北近畿」編成はキハ65からの改造でありながら、485系との併結準備工事は省略されたようです。のちに増結用にキハ58を追加改造(しかも新幹線の簡易リクライニングD-23の再用)して組込んだとか。
@@nishizono520xi 同じキハ65形から改造のゆぅトピア和倉も485系雷鳥に併結してましたね。
そうです。というか「ゆぅトピア和倉」が初代です。当初は週末だけの運転で、金曜夜に単独運転で金沢→大阪・土曜午前~昼過ぎに大阪→和倉温泉(金沢まで雷鳥に併結)・日曜午後に和倉温泉→大阪(金沢から雷鳥に併結)・日曜夜に単独運転で大阪→金沢。※単独運転の臨時列車は「ゆぅトピアライナー」という名称そして平日は団体用列車としても使われてたようです。しかしさらなる集客を期待して&週末にまたがる団体利用にも応じるようにするため、2本目の「アストル」が登場し、「ゆぅトピア和倉」は毎日運転になりました。※この時点で「ゆぅトピアライナー」は運転終了「アストル」は団体用メインで、「ゆぅトピア和倉」の検査代走に出ることもありましたが、さすがに代走をキャッチするのは近くで日々こまめに見てない限り無理。しかし昭和63年秋から同タイプの一般向け臨時列車「ユートピア高山」としても運転されるようになり、こちらは時刻表で確実に運転日がわかる&しかも富山駅での併結ということで、関心が向いたということです。
貴重な資料ありがとうございます。
JR西は面白くて良いですね 模型でもやってみたい編成
北海道でも電車と気動車の併結運転があるようですが、全国的には珍しい運用です。
昔富山の親戚の家から帰るときに名古屋いきしらさぎにのるまえにリゾート宇奈月か立山と雷鳥の連結みたことある
1990年夏から(この映像撮った翌年から)加わった列車ですね。>リゾート立山七尾線電化完成と485系の最小3両化で一斉消滅したのが残念。
富山駅5番線を使っていたのですね! 岩瀬浜駅行きの列車が止まっているのが、懐かしい!
富山港線のホーム(当時の6番線)にも着目してもらってありがとうございます
ボンネットタイプと連結していたのですね。知り合いの鉄ちゃんから聞いたことあるんですが、ボンネットタイプとキロは連結しないって言ってました。バッタもんの鉄ちゃんでしたね。証明されました。模型にボンネットタイプと連結するのが売り出されてましたが、正解だったんですね。奴になんて言ってやろー👊😡💢(怒)
いや、「ゆぅトピア和倉」運転開始当初はボンネット車との連結は不可でしたよ。当時の雷鳥編成(向日町運転所)はボンネット車が多かったですが、この時点での密連改造はなく、運転開始直前に金沢運転所の貫通型・非貫通型を9両転属(交換)して運用に支障のない数を確保したほどです。その後、スーパー雷鳥登場の絡みでさらに金沢へボンネット車が転出、ボンネットが12両まで減少したこと、雷鳥の一部に連結されていたお座敷車の縮小~引退もあり(編成・運用が2グループから1グループへ)、それを機会に運用上の制約をなくすため、89・3直前から密連改造に着手したようです。※模型の広告で、お座敷車+密連ボンネット+ゆぅトピアの写真見たけど、あれ正直感心しませんね。「~和倉」下りは実際89・3までお座敷編成と併結だったけど、そのためにお座敷ありの編成の大阪方は全て貫通・非貫通が組まれてたし、密連改造1号車の登場からお座敷引退まで約半月なので、あの組み合わせは実現しなかったか、したとしても1~2回の激レア。(長文ごめん)
@@nishizono520xiさん色々教えて頂きありがとうございます。知人の言ってたことは満更嘘でもないのですね。早とちりでした。実際ユートピアにも乗ってみたかったのですが、先頭車に乗っても和倉まで、ほとんど雷鳥のお尻見ながらって言うのもなぁって思いつつ、大阪行きに乗ればって思ったのですが、気動車の為大阪行きも最後尾に連結と知って、ボヤボヤしてる間にいなくなってしまいました。(涙)配色も斬新で大好きな列車でした。
今は一部地域に限定されますがやはり良いですね!長ければ長いほど!混ざれば混ざるほど!魅力と話題集中する移動手段!それが鉄道だから!
駅の北側にあった機関区も後の再開発で無くなりましたね。
雷鳥やしらさぎの夜間駐泊編成が停めてあった時期もあったし洗車設備もあったし、あと富山港線とは逆方向(駅の北西~北方向)に貨物線も延びてましたね。今ではすっかり変化してしまって…(ていうか、まだ変化の途中で完成形まで行ってないという)
懐かしいです。こちらではオランダ村特急(現あそぼーい)+有明の勇姿をみたことがあります。同列車切り離しは鳥栖でよく見てました。
珍しい運用ですね😄👍。
ゆぅトピア和倉ですか?それともゴールデンエクスプレスアストルですか?
アストルのほうです。
@@nishizono520xi ありがとうございます。
手元の編成表にはクハ481-103は大阪方に編成されていて謎…
富山方(奇数向き)← 318-128/232-103/207-68-72/72-103 →大阪方(偶数向き)という編成の、両端クハだけ入れ替えて逆向きにした状態でした。理由はよくわかりません。昭和63年秋に運転されたときはボンネットの密連改造の前だったこともあり、101-191/293-139/242-50*-70-190/292-316 という編成の101と316を入れ替え、富山方(アストル連結方)を316にしていましたが、この時はボンネットを密連に改造済み…というか、318のままでよかったはずだけど、まさかわざとアストル&ボンネット連結を実現させるために企てた組替え!?その後また大阪方が103に戻ってました。
@@nishizono520xi わざわざ先頭車入れ替えてたんですか…やっぱりこの時代はユニットとかもコロコロ変わってあまり編成表があてになりない…他の動画で見た両端ボンネットのゆうトピア併結している編成も載ってませんでし…それと89年にはもうスカート切り欠きってあったんですね。どこかで90年からと書いてあったのを見た記憶があるので意外でした。
ユートピアと連結する特急雷鳥は何号ですか?
雷鳥96号です。こちらも臨時。下り(往路)も臨時の雷鳥81号に併結でした。※1988年秋に運転されたときは定期の雷鳥に併結(時間帯も多少違う)
2度とできなくなりましたね(>_
ほんとそうですね。
北陸新幹線開業で分断されました。
今の富山駅と全然違うw
視聴ありがとうございます。…旧駅が現役だった間にも時々変化がありました。映像の端にちょっとだけ映っている富山港線ホームはこの数年後に移設されたし、2・3番線の呉羽・西富山寄りにあった切り欠き型の西ホームが通し番号に変更され、他のホームも4番線→5番線、5番線→6番線というふうに1つずつ改番されたり。「連結作業をやっているホーム、何で6番線じゃなくて5番線なの?」と思ったファンもいると思う。
スカートの切り欠きは賛否ありましたが、この切り欠き後の姿も私は好きでしたね。
私もです。個人的に原形ボンネット車の大きな赤い自連カバーが何だかいかつい感じがして、だから489系も、カバーをつけてない・スカートもやや小さめの500番台(EF63連結側)の方が好きでした。
当時中学生だった私は雷鳥の後ろに繋がったアストルを羨望の眼差しで見つめていました。とても貴重な動画を見せていただき有難うございます。
コメントありがとうございます。(表示の承認が遅れてごめんなさい)
1回目(1988年秋)に乗車したときフィルムカメラで写真は
撮ったのですが、ビデオ撮影を始めてから、この列車はぜひもう一度
ビデオで撮っておきたいと思って再度乗車しました。
一方で、同じく485系との併結運転をしていた福知山線・宮福線の
「エーデル丹後」に乗車する機会を作れなかったのが残念です。
エーデルの車両自体は大糸線で乗ったのですが(単独運転)、
「北近畿」と併結運転している所を見て(撮って)みたかった…。
2階の展望席から電車と連結する所が見れるのはまさに圧巻だ。
視聴ありがとうございます。
迫力そのもの。外国人観光客が見たら大騒ぎそのもの。
今は高架化されても寂しくなった富山駅の在来線ホーム
前面展望車からの併結シーン最高です。
ゴールデンエクスプレスアストルがわからず、自分のHPで確かめました。キハ3両から中間を抜いた2両ですね。
ゆぅトピア和倉の併結走行シーンは見ますが、アストルは初めてです。
キハではなくてキロです(汗) 種車は確かにキハですが。
でも登場した頃は何かとアルファ・コンチネンタルexpとか
エーデル丹後(どちらも普通車扱い)と比較して批判されてました。
aceとエーデルは展望室も定員としてカウントされる客席
ゆぅトピア・アストルの展望室はフリースペースなのですが…。
すいません・・・キロでした
昔はジョイフル(イベント)トレインが全盛期だった頃はキハ58、65形改造等の気動車と特急形電車の併結で面白かった時代ですね。
キハ58・28から改造のジョイフルトレインは、485系とは
併結してないです。
ただアストルの場合二刀流というか…485系と併結するときは
キロ65×2限定、併結がないときはキロ65+キロ29+キロ65の
3両編成で使われていたとのことです。
※キロ29=キハ28からの改造。
あと「エーデル」シリーズの「エーデル北近畿」編成は
キハ65からの改造でありながら、485系との併結準備工事は
省略されたようです。のちに増結用にキハ58を追加改造
(しかも新幹線の簡易リクライニングD-23の再用)して
組込んだとか。
@@nishizono520xi 同じキハ65形から改造のゆぅトピア和倉も485系雷鳥に併結してましたね。
そうです。というか「ゆぅトピア和倉」が初代です。
当初は週末だけの運転で、金曜夜に単独運転で金沢→大阪・
土曜午前~昼過ぎに大阪→和倉温泉(金沢まで雷鳥に併結)・
日曜午後に和倉温泉→大阪(金沢から雷鳥に併結)・日曜夜に
単独運転で大阪→金沢。
※単独運転の臨時列車は「ゆぅトピアライナー」という名称
そして平日は団体用列車としても使われてたようです。
しかしさらなる集客を期待して&週末にまたがる団体利用にも
応じるようにするため、2本目の「アストル」が登場し、
「ゆぅトピア和倉」は毎日運転になりました。
※この時点で「ゆぅトピアライナー」は運転終了
「アストル」は団体用メインで、「ゆぅトピア和倉」の
検査代走に出ることもありましたが、さすがに代走を
キャッチするのは近くで日々こまめに見てない限り無理。
しかし昭和63年秋から同タイプの一般向け臨時列車
「ユートピア高山」としても運転されるようになり、こちらは
時刻表で確実に運転日がわかる&しかも富山駅での併結
ということで、関心が向いたということです。
貴重な資料ありがとうございます。
JR西は面白くて良いですね 模型でもやってみたい編成
北海道でも電車と気動車の併結運転があるようですが、全国的には珍しい運用です。
昔富山の親戚の家から帰るときに名古屋いきしらさぎにのるまえにリゾート宇奈月か立山と雷鳥の連結みたことある
1990年夏から(この映像撮った翌年から)加わった列車ですね。>リゾート立山
七尾線電化完成と485系の最小3両化で一斉消滅したのが残念。
富山駅5番線を使っていたのですね! 岩瀬浜駅行きの列車が止まっているのが、懐かしい!
富山港線のホーム(当時の6番線)にも着目してもらってありがとうございます
ボンネットタイプと連結していたのですね。
知り合いの鉄ちゃんから聞いたことあるんですが、ボンネットタイプとキロは連結しないって言ってました。
バッタもんの鉄ちゃんでしたね。証明されました。
模型にボンネットタイプと連結するのが売り出されてましたが、正解だったんですね。奴になんて言ってやろー👊😡💢(怒)
いや、「ゆぅトピア和倉」運転開始当初はボンネット車との連結は不可でしたよ。
当時の雷鳥編成(向日町運転所)はボンネット車が多かったですが、この時点での密連改造はなく、運転開始直前に金沢運転所の貫通型・非貫通型を9両転属(交換)して運用に支障のない数を確保したほどです。
その後、スーパー雷鳥登場の絡みでさらに金沢へボンネット車が転出、ボンネットが12両まで減少したこと、雷鳥の一部に連結されていたお座敷車の縮小~引退もあり(編成・運用が2グループから1グループへ)、それを機会に運用上の制約をなくすため、89・3直前から密連改造に着手したようです。
※模型の広告で、お座敷車+密連ボンネット+ゆぅトピアの写真見たけど、あれ正直感心しませんね。「~和倉」下りは実際89・3までお座敷編成と併結だったけど、そのためにお座敷ありの編成の大阪方は全て貫通・非貫通が組まれてたし、密連改造1号車の登場からお座敷引退まで約半月なので、あの組み合わせは実現しなかったか、したとしても1~2回の激レア。(長文ごめん)
@@nishizono520xiさん
色々教えて頂きありがとうございます。
知人の言ってたことは満更嘘でもないのですね。早とちりでした。
実際ユートピアにも乗ってみたかったのですが、先頭車に乗っても和倉まで、ほとんど雷鳥のお尻見ながらって言うのもなぁって思いつつ、大阪行きに乗ればって思ったのですが、気動車の為大阪行きも最後尾に連結と知って、ボヤボヤしてる間にいなくなってしまいました。(涙)
配色も斬新で大好きな列車でした。
今は一部地域に限定されますがやはり良いですね!長ければ長いほど!混ざれば混ざるほど!魅力と話題集中する移動手段!それが鉄道だから!
駅の北側にあった機関区も後の再開発で無くなりましたね。
雷鳥やしらさぎの夜間駐泊編成が停めてあった時期もあったし
洗車設備もあったし、あと富山港線とは逆方向(駅の北西~北方向)に
貨物線も延びてましたね。今ではすっかり変化してしまって…
(ていうか、まだ変化の途中で完成形まで行ってないという)
懐かしいです。こちらではオランダ村特急(現あそぼーい)+有明の勇姿をみたことがあります。同列車切り離しは鳥栖でよく見てました。
珍しい運用ですね😄👍。
ゆぅトピア和倉ですか?それともゴールデンエクスプレスアストルですか?
アストルのほうです。
@@nishizono520xi ありがとうございます。
手元の編成表にはクハ481-103は大阪方に編成されていて謎…
富山方(奇数向き)← 318-128/232-103/207-68-72/72-103 →大阪方(偶数向き)
という編成の、両端クハだけ入れ替えて逆向きにした状態でした。
理由はよくわかりません。昭和63年秋に運転されたときはボンネットの密連改造の
前だったこともあり、101-191/293-139/242-50*-70-190/292-316 という編成の
101と316を入れ替え、富山方(アストル連結方)を316にしていましたが、この時は
ボンネットを密連に改造済み…というか、318のままでよかったはずだけど、まさか
わざとアストル&ボンネット連結を実現させるために企てた組替え!?
その後また大阪方が103に戻ってました。
@@nishizono520xi わざわざ先頭車入れ替えてたんですか…やっぱりこの時代はユニットとかもコロコロ変わってあまり編成表があてになりない…
他の動画で見た両端ボンネットのゆうトピア併結している編成も載ってませんでし…
それと89年にはもうスカート切り欠きってあったんですね。どこかで90年からと書いてあったのを見た記憶があるので意外でした。
ユートピアと連結する
特急雷鳥は何号ですか?
雷鳥96号です。こちらも臨時。下り(往路)も臨時の雷鳥81号に併結でした。
※1988年秋に運転されたときは定期の雷鳥に併結(時間帯も多少違う)
2度とできなくなりましたね(>_
ほんとそうですね。
北陸新幹線開業で分断されました。
今の富山駅と全然違うw
視聴ありがとうございます。…旧駅が現役だった間にも時々変化がありました。
映像の端にちょっとだけ映っている富山港線ホームはこの数年後に移設されたし、
2・3番線の呉羽・西富山寄りにあった切り欠き型の西ホームが通し番号に変更され、
他のホームも4番線→5番線、5番線→6番線というふうに1つずつ改番されたり。
「連結作業をやっているホーム、何で6番線じゃなくて5番線なの?」と思った
ファンもいると思う。
スカートの切り欠きは賛否ありましたが、この切り欠き後の姿も私は好きでしたね。
私もです。個人的に原形ボンネット車の大きな赤い自連カバーが何だかいかつい
感じがして、だから489系も、カバーをつけてない・スカートもやや小さめの
500番台(EF63連結側)の方が好きでした。